ウラジオストク:東方を支配する町
2012年 10月 23日
ウラジオストクはロシアの極東政策の拠点なのですね。現在のウラジオストク市内では、日本から輸入した右ハンドルの中古車が数多く走っていて驚いてしまいます。100%とまで行きませんがほとんど日本車です。下の写真、ここに停まっていた車は全部日本車
この町は2012年9月にAPECが開催されたせいか、大変手入れが行き届いています。昨日霧で隠れていた金角湾横断橋も8月にルースキー島まで延長されたそうです。
さて、今日は昨日とは打って変わって良いお天気でポカポカ!
早速ホテルでの朝食を済ませて見学しに出掛けました。相方は私よりスケッチに熱心で道具をリュックに入れて出発。
坂の上にあるホテルから道を下っていると、ウラジオストック駅や金角湾が見渡せます。たしかに「ロシアのサンフランシスコ」と評されるだけあって坂道が多いところです。
スーパーマーケット・アルゴスのある駅前広場には、レーニン像が海の彼方を指さしているます。何を意味しているのか分かりませんが...
駅構内の造りがなかなかGoodだったので再度訪問。う~ん、ロシアの駅は照明といい旅行者としては年代を感じて嬉しくなります。
ここは駅の待合室。天井の絵画も美しいと思いませんか?
待合室には昔の駅の写真が展示されていました。日本語で「浦塩(浦潮)/ウラジオ駅」と書かれた写真もあり、たぶん大正時代の写真かしら?
駅から橋を渡ってスベトランスカヤ通りと金角湾に挟まれた中央広場に... 中央部にはロシア革命とパルチザン勝利の記念碑があります。
広場からスベトランスカヤ通りを歩き、19世紀末ドイツ人により建設された現在のグム百貨店や多くのヨーロッパ的な建築様式の建物を見学しました。
グム内はなかなか素敵な造りです。
鷲の巣丘と展望台まで行ってみようとケーブルカー?に乗っていきましたが、丘の上は風が強くて&寒くて展望台まで行かず引き返したのでした...
金角湾横断橋近くの公園には「ニコライ門」がありここで少し休憩。
これは1891年、アジア諸国歴訪から帰国したニコライ皇太子(※ニコライ2世)を歓迎するために市会の決議に基づいて建てられた歓迎門だそうです。ただ、ロシア革命後1927年に取り壊されましたが、最近ウラジオストクの実業家たちの寄付で新しく復元されたのだそうです。
こちらは公園近くの小さなロシア正教の教会です。鐘がいくつもあり良い音色を奏でそうです。
さて、金角湾横断橋を下から眺めて、またスベトランスカヤ通りを歩き駅の方へ。
相方が駅前広場のレーニン像スケッチ(エライなぁ~と感心)したいと言い...。
私には寒すぎてスケッチはパス。イグナットというウラジオストク最大の総合デパートへ行ってみました。値段はかなり高めで、1階にはお土産も売られていました。
これはロシア革命後にイギリスなどウラジオストックへの共同出兵したときの模様だと思います。参考まで...