私にとっての原風景:南伊豆
2012年 11月 21日
一夜明けても興奮さめやらぬ私達。朝焼けを部屋から眺めていました...。
少しずつ明るくなってきました。
チェックアウトはなんと11時なんですが、今日は西伊豆まで行く予定なので、後ろ髪ひかれつつも出発。熱川館は写真中央で左がお風呂&露天風呂がある建物です。見晴らしの良い渡り廊下でつながっています。
今井浜、白浜、下田、弓ヶ浜、そして下流。下流の村も変わってない。あ~、懐かしいぃ...!
さて今日のお目当ては下流と大瀬の間にある入り江。蓑かけ岩が見渡せる場所で、昔、休暇を過ごす家があったところです。私が小学5年の時、父が見晴らしの良い丘の上に家を建てて、数年後に丘の下の海に近い所にももう1軒建てました。夏休みには家族&友人合わせて20人以上が過ごしていたかもしれません。すでに2軒とも手放しているので他人の所有ですが、どうなっているか見たくてやってきました。
ここは昔バス停「見晴らし台」があり、当時の茶店の建物は残っていました。
茶店から国道を見渡すと...今は山の上に風力発電があります。
見晴らし台から海を見ると、懐かしい風景!
さてここから雑木林を抜けて丘の上の家に行って見ました。
下の写真右手のブロックは上り疲れた父や母が座って煙草を吸ったところ。
これが上の家です。浴室の窓が見えます。
こちら側は下の家に下りていく階段です。
でも雑草がすごくて進めません。別の道を使って降りてみました。
以前お隣さんだったK坂さんの家から男性が出てこられたので話を伺いました。東京の方が2軒とも購入して所有しているようです。しかしここ3年は体調を崩していらしていないとか。結局、下の家(海まで0分)のまわりも草が生い茂って近寄れませんでした。
下の写真は家の駐車場から海へ行く道です。
この道右横にはPainさんの家があります。
左横はHさんがお一人で住まわれていたのですが今は東京に移られたとか。お会いした男性によると、「銀の海」という近くのホテルが貸別荘として使っているそうです。
道を下り、我が家よりもっと海に近いところにI氏邸がありました。テレビのサスペンスドラマに何度も登場したイタリア風白亜の洋館でしたが、塩害で維持できず取り壊されて昔の面影は残っていませんでした。
ここから甥っ子たちと泳いだ場所が見えます。そばの岩には相変わらず鳥居が!
ここから道を見上げると駐車場が見えます。海から上がって、一息ついて見上げた懐かしい風景だわ!汗拭き用のタオルを首にかけた母が、なんだかベランダにいるような...
30年近く私は夏休みを過ごしたところです。私にはとてもなつかしい場所。たくさん写真に収めることが出来て大満足。ここから正面に見える大瀬の蓑かけ岩にも行ってみました。
蓑かけ岩は、なんだかとっても小さくなったような気がします。昔は空に刺さるように岩山が突き出ていたと思うのですが...
大瀬の港横には浜があったのですがコンクリートの防波堤に姿を変えていました。
お昼は大瀬港の先の「磯料理いそ船」で頂きました。
お値段は、女将さんのお言葉に甘えて内緒の?000円だったのですが、大きなスズキのかぶと焼き、スズキの洗いなどの刺身盛り合わせ&わさびが丸ごと1本添えられています。もちろん 鮫の皮を使ったおろし器も!極太ひじきの煮もの、根野菜&干しシイタケ入りモツの煮込み、大根&柿&きゅうりのサラダ、ホウレン草のお浸し、野沢菜と揚げの煮もの、味噌汁、ごはん、お漬物です。
新鮮で愛情こもった料理は本当に美味しかった~! 朝取りのおミカンも袋にいれてお土産に頂いてしまいました。本当にごちそう様です。
食事をしてから分かったのですが... 昔、大瀬の家の隣が火事になったとき、我が家に被害が出ないように地元の消防団の一員として、ここのご主人が火消をしてくださったとか。
ご主人、女将さん、ほんとうにありがとうございました。
じ~んと胸が熱くなる思いで出発。本当に人の出会いやら縁って不思議だと思います。無駄な出会いはないのですね...。
次に行った先は石廊崎の灯台!石廊崎港に車を停めて坂道を登って行きます。
灯台の手前にはジャングル・パークがあったのですが廃墟になっていました。昔と変わらぬ姿の灯台が見えてきました。
ここから伊豆半島の先端が見え、先まで歩いて行けます。
階段途中の岩には張り付くように石室神社が建っています。
ここでスケッチをしていたら声をかけてくださる方が。年配のご夫婦と女性の一行です。彼らは今年2ヶ月かけてフランスからピレネーまで歩いたとか...サン・ジャック・コンポステーラ(巡礼の旅)をしたのです。そしてその巡礼の旅に参加したご婦人はフランス語を勉強中とのこと。私達は歩きこそしませんでしたが、今年の春に巡礼の道をたどって旅行したのですから、なんという偶然でしょう!
一気に盛り上がってしまいました。そして今回、皆さんは2003年から春と秋に数十回に分けて日本海側の新潟から長野、甲府と徒歩で横断し、今まさに石廊崎に着いたのだそうです。
いやはや、おめでとうございます!健康って素晴らしい!幾つになっても色々なことに挑戦出来ますね。私達も皆さんからパワーを頂いてさらに西伊豆に向かいました。
入間の海蔵寺に明治7年(1874)入間沖で座礁沈没したフランス・マルセーユの郵便船『ニール号』の遭難者招魂碑があるので立ち寄りました。
この船は私達がよく泳ぎに行くマルセイユの近くのシオタの造船所で1864年に造られたそうです。オーストリアのウイーンで開かれた「ウィーン万国博覧会」に出品した美術品を日本に送り返すために、1873年9月18日(9/18は相方の誕生日だわ!)にマルセイユを出港したのです。
下が1873年(明治6年)ウィーン万国博覧会の日本館の図です。これらの美術品を船に乗せていたのですね...
当時のニール号の写真
しかし、1874年(明治7年)3月20日に大しけで入間で座礁してしまったのです。相方の親友は代々はフランス海軍軍人で大の日本通...。彼の祖父様はフランス海軍中将として明治時代東京在住だったくらいですから、彼はこの事故の話を聞いているかもしれません。次回お会いしたときに伺ってみましょう。