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旅行中のPhotoやお絵かきなどをアップするぞぉ~、なのでこのblogをスタート♪ パンとRoquefortチーズが大好きな私がご飯と魚を毎日食べたい相方と出会い、まずは2010年南仏でのバカンスから...


by kyo_youpi2010
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ニール号とウィーン万博そしてジャポニスム

相方の友人F氏宅に招かれて昼食を一緒に頂いてきました。F氏のお従姉妹さんもご一緒です。2人とも8分の1は日本人の血が入っているのですがDNAって不思議です。お従姉妹さんの外見は日本女性そのもの。でもF氏は誰が見ても外国人。
今日は、代々フランス海軍一家のF氏に伊豆・海蔵寺のニール号遭難者招魂碑について聞いてみました。しかし明治時代に日本に滞在していた祖父や父からは、何も聞いていなかったとの答えでした。ちょっと残念。
興味があるので、ニール号で送り返された美術品が展示されていたウイーン万国博覧会について調べてみました。日本政府初の公認博覧会ですから、どこかに記事があるハズ。
下が1873年当時のウイーン万国博覧会・日本パビリオンの様子と日本庭園の様子です。
ニール号とウィーン万博そしてジャポニスム_d0167041_2322223.jpg

Jardin Japonais日本庭園
ニール号とウィーン万博そしてジャポニスム_d0167041_2334926.jpg


外国で描かれた日本庭園の図には、訪れた現地の記者の記事がフランス語で載っていました。
※以下簡単に翻訳すると、
《日本庭園(1300坪)には、小さな家(民家の模型)や神社があり、竹の橋が小さな川にかかっています。2本の柱は彩色が施された紙の帯が飾られている(※いわゆる紙垂(しで)ではないらしい)日本庭園内の小路には小石が敷き詰められ、大きさや形が異なる石灯籠が小路の左右に配置されています。神社の鐘は叩かず、平行に吊るされている棒で鳴らします。紙で作った大きなこいのぼりは、5月5日に屋根の上に飾られて「子供の日(男の子のお祭り)」をお祝います。
最後に、ウイーン皇帝がわざわざこの庭園を見学にみえました》と書いてありました。

さて、私がこの記事を読んでいて面白いと思ったのは、この記者は家のサイズから、日本人は小人と感じていること。そして、神社の鐘はヨーロッパの鐘の音と違いイマイチだったとか...
でも一番笑ってしまったのは『ヨーロッパの松の木はどれも背が高いのに、日本庭園の松の木は、しなびたみたいに曲り低く... これが日本人の好みとなってる』
この記者には日本の盆栽なんてきっと理解できなでしょうね~。

見つけました!日本語のページ「ウイーン万国博覧会」にはさらに詳しく記載されていました。下はこのサイトで見つけた日本庭園の様子です。このページ上で紹介した日本庭園の図と違って、とても平面的見えますね!
ニール号とウィーン万博そしてジャポニスム_d0167041_342047.jpg


1873年1月末にフランスの郵船に出品物を積み込み、関係者43名とともにオーストリアに向けて出発。43人の中にはウイーンで陶磁法を学び、欧米に受けそうなデザインをまとめた『温知図録』を発案した人も含まれていました。
そして5月、なんでも神社と庭園が完成しないうちに博覧会がはじまってしまったとか。
博覧会に訪れた人々は、はるばる海をわたった日本の職人達のすぐれた技に注目!
彼らが削ったカンナくずを偶然通りがかったオーストリア王妃が大変めずらしがり、大事に持ち帰ったそうです。
ニール号とウィーン万博そしてジャポニスム_d0167041_354100.jpg

庭園には亀や錦鯉を放ち、鳥居から神社までの道の両脇に2件の店(※民家の模型)も建てたとか。売店では扇子が売られ、一日3000本も販売されウイーン中が扇子だらけだったと地元の記事に紹介されています。そのほかに谷中天王寺の五重塔の模型、名古屋城の金鯱や大太鼓なども展示。パビリオン内には、浮世絵,錦などの染織品,漆器,櫛,人形などの工芸品をはじめ,仏像,楽器,刀剣,甲冑,伊万里・瀬戸・薩摩焼などの陶磁器に至る美術用品などなど。国宝級の品も多かったようです。

11月の会期終了後には,屋外展示物の神社と庭園の建物・木石など一式をイギリス商社が買取り、さらに展示物の多くは、中国、エジプトなどの展示物と共にオーストリアの博物館のコレクションとして残されたようです。
残りの美術品や借り物の所蔵品については、どうしたか何も記載がありませんでした。英語やフランス語ではニール号で日本に送り返されたという記事はあるのですが...
展覧会について、初めは盛んに書き記した目録やら日記など残っているのですが、会期終了後についての記述がほとんどないのかとても不可解でした。
しかし調べていくうちに、どうやら明治政府にとってこの万国博覧会の目的が『日本の欧米への輸出振興』だったので、目的を果たした出品物にはもう関心がなくなったのでしょう。

ここまで調べた私にとって、意外な発見をしました。
蘭学発展に大きく貢献したシーボルトをご存知ですよね。彼は国禁の地図を入手して国外追放になったのですが、30 年後再び来日した際に連れてきた息子アレクサンダー・フォン・シーボルトが、明治政府にウイーン博覧会の出品物の助言を行ったそうです。その後も日本政府のために、15歳から40年間通訳として勤めたそうです。彼が欧米でブームになった「ジャポニスム」の生みの親でしょうか...

されさて、このウイーン万国博覧会がきっかけで、ヨーロッパにジャポニスム(仏)※ジャポニズム(英)、つまり日本美術が西欧に与えた『日本趣味』が誕生します。1878年のフランス・パリ万国博覧会で日本パビリオンの虜になったルイ・ヴィトンもジャポニスムの影響を受けた一人。日本でもお馴染みの日本の市松模様や家紋を取り入れたデザインを発案したとか...
パリ万国博覧会・日本パビリオン内部のようすです。
ニール号とウィーン万博そしてジャポニスム_d0167041_23983.jpg

パリ万国博覧会で最も注目を集めたパビリオンだったそうですが、この図からパビリオンの良さが分かりません...

※ニール号に関する記事:「私にとっての原風景:南伊豆」
※ニール号に関する記事:「ニール号から引き揚げられた作品」


by kyo_youpi2010 | 2012-12-15 22:11 | France