パタゴニアの歴史
2014年 01月 31日
プンタ・アレナスは1520年にマゼラン海峡発見からパナマ運河ができる1914年までの間、大型船の往来で栄えた町。スペイン語で『砂の岬』を意味するパタゴニア南部最大の都市で、もともとは、セルクナム族(Selk'nam)、オーナー族(Haush)、ヤーガン族(Yagan)、アラカルフ族(Kaweskar)、テウエルチェ族(Aonikenk)などの先住民族が狩りをして生活していた場所。
そこへクロアチア、ドイツ、イタリアなどから多くの人々が移り住み、ここで牧畜業を始めます。19世紀には羊毛で巨額の富を築いた豪商たちの瀟洒な邸宅が、現在のプンタ・アレナスで博物館として残っています。
下の写真は「パタゴニアの王」と呼ばれることになるホセ・メネンデスの自宅内部。
遊戯室にはビリヤード台と、なんと麻雀パイが!!!
そしてこちらがホセ・ノゲイラの自宅。
一階西北側に二重ガラスで覆ったテラスがあり、明かるくて素敵なテラスです(※現在はホテルのレストラン)南半球では北側から太陽がさしこむので、夏には夜10時すぎまで沈まない太陽の光を、このテラスで楽しんでいたのでしょうね。
ついでに私達はこんな場所にも来ました...。
ヴェルサイユ宮殿のお庭???と見間違うような、手入れの行き届いた木々。ここはプンタ・アレナスの墓地で、旅行ガイドブック「ロンリープラネット:Lonelyplanet」に観光名所として紹介されていたのです。「なんで墓地が?」と思ったのですが、結構、ツーリストが散歩がてらに来ていて、豪商たちのお墓を見学していました。下の右側がホセ・メネンデスのお墓。となりのお墓はまるで小さなお御堂のような造りでステンドグラスが至る所にはめられていました。
お墓の名前を見ていくと『〇〇ヴィッチ』とかクロアチア系の名前が多いことが分かります。意外でした...。
ところで、入植した人々はここで牧畜を始める際、先住民の土地を取り上げる方法として『先住民を殺し、両耳を切り取って持ち帰った者には報奨金を与える』という政策をとったそうです。そのせいかどうかは分かりませんが、現在では数多くいた先住民族はほぼ絶滅状態なんですね。下の写真はマゼランの銅像。彼の足元には先住民達の像が...。まさにこの地の歴史を象徴するかのようです。
下はクリストファー・コロンブス通りとフェルディナンド・マゼラン通りが交差しているので、思わず写真に撮ってしまいました。